移住者体験談
中野 葉月さん/2011年5月 飯豊町へ移住
山に魅せられて
中野さんは神奈川出身。中学生のときに環境問題に関心を持ったのをきっかけに、大学で林学を学び、卒業後は東京で、森と人の暮らしをつなぐNPO、「共存の森ネットワーク」に勤めていました。その活動の中で山形に通ううちに、「山村の暮らしを実践しながら守る生き方をしたい」という気持ちが強くなり、今年の5月から飯豊町中津川地区(いいでまち なかつがわ ちく)に移住しました。
移住を後押しするひとこと
中野さんが所属していたNPOは、2007年に発足し、山村の暮らしに目を向けた取り組みを行っています。全国から集まった100名の高校生が、山で暮らす知恵を持った「森の名手・名人」に一対一で話を聞き、名人の技や生き方を文章にまとめる「森の聞き書き甲子園」や、大学生や高校生が中心となって、全国5か所の山村の暮らしを学ぶ「共存の森づくり」等の活動を行っています。その全国5か所のうちの1か所がここ中津川でした。
中津川に通い始めて2年目に、中野さんは地元のNPOの方から「この地域に移住できますか?」と質問されました。そのときには、自然の中で暮らすのは魅力的だし、人も温かい、でも働くところはないし、将来を考えると医療や教育の不安がどうしても拭いきれなかったということで「良いところだけど・・・」としか答えられなかったといいます。
しかし、実際に何十年もこの土地で暮らす人々とのふれあいから、自分の生活のベースを自分自身で作っているこの暮らしこそが「生きるということだ」と強く感じたといいます。山村の暮らしを守る活動をするならば、通って時々訪れるのではなく、実際に住んで山と向き合っていくことが不可欠。中津川は日本一広い財産区を所有し、山と暮らしの距離が近いのが特色です。その中で「山に生かされている」と語った地元のお年寄りの言葉が、中野さんの背中を押しました。
中津川(なかつがわ)の豊かな森
実際に移住してみて
現在中野さんは、中津川にある教員住宅に暮らしています。そこに住むすべての人が県外・町外出身者。地元の方から食べきれないほどの山菜や野菜をいただき、お隣におすそわけしようと訪ねると、そちらでもすでに玄関先に山菜や野菜が山になっている、なんてことがしょっちゅうだそうです。このようなエピソードからも、中野さんは日々の暮らしを、みんなに見守られていると実感すると話してくれました。
地域の魅力を発信したい
中野さんは将来的に、中津川地区で仕事をつくっていきたいという想いを持っています。地区の活性化のために使われていない施設を再活用し、一次産業に付加価値を付けて幅広く販売することで、中津川を全国の人に好きになってもらいたい、そしてまたここを訪れたい・つながりたいと思う人を増やしていきたいと語ってくれました。山村の暮らしを望んでいながらも、以前の中野さんのように不安を抱える人に「飛び込んでしまえば大丈夫!」とのアドバイス。今度は自分がそのような人を応援したい。そのために今は自分自身が中津川での暮らしを精一杯楽しむことにしているのだそうです。
最後に中野さんは、「山形は思っていたとおりの素敵なところです」と笑顔を見せてくれました。